名古屋高等裁判所 平成7年(う)111号 判決 1995年11月30日
裁判所書記官
舩橋和彦
本籍
愛知県豊川市国府町下河原五二番地の二
住居
同県蒲郡市港町一四番二号 木村ハイツ一〇一号
会社役員(元衆議院議員)
近藤豊
昭和一〇年七月一五日生
右の者に対する政治資金規正法違反、所得税法違反被告事件について、平成七年三月三〇日名古屋地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官田子忠雄出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月及び罰金五〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に
換算した期間、被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護に伊藤茂昭、同寺島秀昭、同大竹正江、同江口正夫、同牧野英之、同岡内真哉が連名で作成した控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
所論は、要するに、被告人を懲役一年六月及び罰金五〇〇万円の実刑に処した原判決の量刑は重すぎて不当であり、原判決後の情状も考慮し、被告人に対し刑の執行を猶予されたい、というのである。
所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果も併せて検討すると、本件は、衆議院議員総選挙に落選し次回選挙に立候補を予定していた被告人が、自己の政治資金を集めるために、秘書と共謀のうえ、寄附名義人の各支援者にとって脱税の手段となることを認識しながら、被告人の推薦、支持を目的とする各政治団体の平成二年分の収支報告書に寄附金額等につき虚偽の記入をし、これらを選挙管理委員会に提出したという政治資金規正法違反の事案(原判示第一の一ないし七)、右秘書及び各支援者(納税義務者)らと共謀のうえ、選挙管理委員会の確認印を得た「寄附金控除のための書類」を利用し、各支援者(納税義務者)らの平成元年分、同二年分の虚偽過少の所得税確定申告書或いは所得税更正請求書を税務署に提出し、正規の納付税額と申告にかかる虚偽過少の税額の差額の納付を免れ、或いは還付を受け、それぞれ脱税したという所得税法違反の事案(第二の一、二、第三)である。
被告人は、衆議院議員をしていた昭和五八年ころから、国会議員又は国会議員となろうとする者の推薦、支持を目的とする政治団体に対する個人献金のうち、一定の要件に該当するものを所得税法上の特定寄附金とみなし、所得控除の対象とする課税上の優遇措置の制度があることに着目し、右制度を悪用し政治資金集めを図るようになり、以後本件犯行時まで毎年(但し、昭和六二年及び六三年については被告人が落選中であったうえ衆議院議員選挙への立候補届出の日の属する年或いはその前年に当たっていなかったので、被告人の政治団体に対する寄附は所得税法上での特定寄附金控除の対象とならなかった)これを繰り返していた。その方法は、次のとおりである。すなわち、被告人が、自己の支援者に「寄附をしてくれればその金額の何倍もの金額の領収書を出すので損はさせない」と説明して、現実に交付した金額を上回る虚偽の金額の寄附をしたものとして所得税法上の寄附金控除が受けられることを理解させたうえ自己への政治献金を依頼した。そこで、支援者が被告人に対し一定金額の献金をすると、被告人は、秘書に指示して、実際の寄附金額の二倍ないし三倍(通常は三倍)の虚偽の金額を記載した領収書を作成し支援者に交付したうえ、支援者(寄附名義人)がその虚偽の金額による寄附をしたものとして各政治団体(虚偽の金額が一五〇万円を上回るときは二団体以上)に適当に割振り、寄附金額等につき内容虚偽の記載をした各団体の収支報告書を作成させ選挙管理委員会に提出した。そして右収支報告書に基づき選挙管理委員会から右虚偽の金額を寄附金額とする「寄附金控除のための書類」に確認印を受け、これを支援者らに郵送し、支援者らはその年度の所得税確定申告或いは更正請求の際、右「寄附金控除のための書類」を税務署に提出し、右虚偽の金額につき特定寄附金控除を受けて脱税していたものである。本件各犯行は、このように被告人が長年反復して来た計画的で巧妙な犯行の一端であって、本件自体も関係した人員は政治資金規正法違反について延べ三三名、虚偽記入にかかる寄附名目金の総額四六二四万円、所得税法違反延べ二五名、ほ脱額合計四一〇四万余円と言う大規模なものであり、これに伴い被告人の集めた政治資金もかなりの多額に上っている。
このように、被告人は、自己の政治資金集めのため、首謀者として、政治団体に対する寄附金についての課税上の優遇措置の制度を悪用し、自ら積極的に多数の支援者らを脱税の犯罪に誘い込んだうえ、共犯者である支援者らにいわば国に対する詐欺的方法ともいうべき手段を弄して脱税させ税金の還付などを受けさせたほか、その手段として政治資金の公明と公正を確保しようとする政治資金規正法の趣旨をも踏みにじっているのであって、本件各犯行は罪質、動機、態様共に悪質というべきものである。被告人は、国民のために立法等の任務を行う国会議員に選ばれ或いは国会議員になろうとした者(落選中)であったのに、このような犯罪を重ねてまで多額の献金を得、多数の支援者らをして国民の基本的義務(納税の義務)に違反させていたものであって、このことが政治家に対する信頼を大きく裏切ったばかりか、一般国民の納税意識に悪影響を及ぼすものとして厳しい社会的非難を受けなければならないのは当然のことである。
しかるに、被告人は、本件犯行後、衆議院議員に当選していたが、犯行の発覚後も責任を自覚し出処進退を明らかにするような行動に出ることもなく、かえって、共犯者とは別の秘書の一人に責任をかぶせるような口裏を合わせたり、寄附をした者らに実際の寄附金額を上回る寄附をしたものと述べるよう働きかけたりする罪証隠滅工作を積極的に行なっていたのであって、その動機が共犯の秘書や支援者をかばおうとする余りのこととしても犯行後の行状も芳しくない。
所論は、被告人と支援者らとの共謀の内容は、寄附に応じた支援者の所得税額の軽減を得るためで被告人の税金を免れようとしての共謀ではなく、また、所得税の支払いを免れたことにより利得を得たのは支援者であり被告人ではないことから、所得税法が守ろうとする利益の侵害を直接目的として行動したものではないという。
しかし、被告人が支援者から自らの政治資金を得る目的で、支援者の脱税について共謀し、これによって支援者が脱税による利益を得、被告人も政治資金を得るという利益を得ており、本件犯行の共謀が、所得税法が守ろうとする利益の侵害を直接目的としていないとはいえないし、被告人が利得をしていないともいえない。
また、所論は、被告人は多額の政治資金を隠匿したのではなく、むしろ政治資金として実際に寄附を受けた金額を過大に申告し、実際に使用していない金銭を使用しているように申告しているものであるから、政治資金規正法が制定された契機である多額の政治資金の使用を隠し、不明朗な資金による活動を隠蔽しようとしたわけではなく、同法違反の違法性及び責任の程度は軽いという。
しかしながら、多額の政治資金の授受や使用を隠匿することに限らず、政治資金として寄附を受けた金額や支出した金額を実際よりも過大に記載し虚偽の収支報告をすることも、政治資金の収支の公開等の措置を講ずることによる政治活動の公明と公正を確保する同法の趣旨に反することにかわりはないうえ、虚偽内容の収支報告を脱税の手段として利用していたのであるから、同法違反の違法性及び責任の程度が軽いとの所論はにわかに採用できない。
以上のような被告人の地位、本件各犯行の罪質、計画性、継続反復性、規模、一般国民に与えた影響などにかんがみると、被告人の刑事責任はかなり重いものがあるといわなければならない。
してみると、被告人には前科前歴はなく、被告人は、外務省に入省し退職する昭和五三年まで約二〇年間外交官として日本の国際社会への貢献に尽力し、特に在オランダ日本大使館に勤務していた昭和四九年九月に発生した日本赤軍を名乗る者らによるいわゆる「ハーグ事件」において人質救出のために献身的活動をしたこと、衆議院議員となってからも身体障害者が働く施設の設置や国際文化交流活動に尽力したこと、本件については支援者(納税義務者)らが例外なく寄附金として名目寄附金額の三分の一ないし二分の一は実際に被告人に交付しており、まったくの架空の寄附に基づく事例とは異なること、脱税をした者らは本件発覚後修正申告をし重加算税などの支払いにも応じたこと、被告人が本件について犯行を認め反省している旨述べていたことなど所論指摘の被告人に有利な諸事情を十分に考慮しても、原判決当時としては、被告人を懲役一年六月及び罰金五〇〇万円の実刑に処した原判決の量刑は、やむを得ないものというべきであって、これが重すぎて不当であるとはいえない。
しかるところ、当審における事実取調の結果明らかになった前記被告人の「ハーグ事件」における格段の功績(この点については、当時のオランダ法相で後の首相フアン・アフトが被告人の功績を称える陳述書を提出している)のほか、原判決後、被告人は、本件各犯行の重大性、違法性について改めて認識を深め、この様な罪を犯しながら国会議員の地位にとどまることはできないと自ら判断し、平成七年九月一八日衆議院議員の辞職願を提出し、衆議院において右辞職が許可され、これまで営々として築き上げてきた衆議院議員としての地位、政治家としての立場を失うに至っていること、今後は公害防止技術などの研究開発、普及を目的とする財団の設立を準備し、議員の退職金をこれに寄附する予定であること、当審における審理を通じ真摯な反省の態度が十分に認められること、原判決前後を通じ事件内容などを報道され家族共々相応の社会的制裁を受けたことなど原判決後の事情を前記の事情に併せて斟酌すると、原判決の刑は、現時点においては、被告人に対し懲役刑について刑の執行を猶予しなかった点において重すぎて不当となったものというべきである。原判決は破棄を免れない。
よって、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。
原判決が認定した事実を法令に照らすと、被告人の原判示第一の一ないし七の各所為は、いずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、平成六年法律第四号附則七条及び平成四年法律第九九号附則一二条により、平成四年法律第九九号による改正前の政治資金規正法二五条一項、一二条一項に、原判示第二の一、二、第三の各所為は、原判決添付別紙一覧表八ないし一〇の各納税義務者毎に、いずれも右改正前の刑法六五条一項、六〇条、所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するところ、所定刑中、原判示第一の一ないし七の各罪につき禁錮刑を、原判示第二の一、二、第三の各罪につき懲役刑及び罰金刑をそれぞれ選択し、以上の各罪は右改正前の刑法四五条前段の併合罪であるから、禁錮刑及び懲役刑については同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い原判示第三の右別紙一覧票一〇番号9の罪の懲役刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により原判示第二の一、二、第三の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で処断すべきところ、前記原判決後の情状を含む情状全般を総合考慮して、被告人を懲役一年六月及び罰金五〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、同法二五条一項を適用しこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 土川孝二 裁判官 松村恒 裁判官 柴田秀樹)
控訴趣意書
右の者に対する政治資金規正法違反及び所得税法違反被告事件について、控訴の趣意は左記のとおりである。
平成七年九月二九日
右弁護人 伊藤茂昭
同 寺島秀昭
同 大竹正江
同 江口正夫
同 牧野英之
同 岡内真哉
名古屋高等裁判所刑事第一部 御中
目次
第一 はじめに・・・・・・三八三五
第二 衆議院議員の辞職・・・・・・三八三六
一、辞職の事実・・・・・・三八三六
二、政治資金規正法等の立方趣旨の認識と反省の深化・・・・・・三八三七
三、辞職の経緯・・・・・・三八三八
四、財団設立準備の活動と退職金の寄付・・・・・・三八四〇
第三 被告人の活動実績・・・・・・三八四一
一、ハーグ事件・・・・・・三八四一
二、身障者社会福祉と「愛知太陽の家」・・・・・・三八四七
三、国際文化活動・・・・・・三八四九
第四 一審判決前の情状・・・・・・三八五〇
一、平成五年総選挙における選挙活動・・・・・・三八五〇
二、他の共犯者への配慮・・・・・・三八五一
第五 考慮すべき犯情・・・・・・三八五二
一、共謀共同正犯の共謀性とその態様・・・・・・三八五三
二、所得税法違反の共同正犯としての利得の不存在・・・・・・三八五四
三、ほ脱税額と実際の寄付額・・・・・・三八五四
四、政治資金規正法の趣旨と本件態様・・・・・・三八五六
第六 結語・・・・・・三八五六
第一 はじめに
原判決は、被告人の所為につき、懲役一年六月及び罰金五〇〇万円の実刑を言い渡した。
しかしながら、被告人には、第二以下に述べるとおり、原判決言渡後の情状として、自らの所為に対する反省の深化とともに、衆議院議員を辞職するという重大な変化が存する。さらに議員辞職に伴う退職金を公益の財団に寄付するなど事件に対する反省が顕著である。
また、原判決前の情状として、被告人には衆議院議員に就任する前の外務省オランダ大使館勤務時代において、いわゆるハーグ事件における日本の国際社会への貢献への尽力や、衆議院議員としての国際文化交流への活動、身障者社会福祉への献身的な活動等々があり、被告人の本件所為についても、それが非難されるべきことは当然としても後述のとおりくむべき情状が存在する。
このように原判決後の情状としての衆議院議員の辞職という重大な情状の変更とその他の情状を併せ考慮するならば、現時点においては、原判決の量刑は重きに過ぎ、量刑不当といわなければならない。よって、量刑不当により原判決の破棄を求める所為である。
第二 衆議院議員の辞職
一、辞職の事実
被告人は、本件第一審において実刑判決の言い渡しを受け、本件所得税法違反、政治資金規正法違反の重大性を認識した。
特に国会議員としての立場と多くの納税者、国民の立場を顧願したとき、国会議員の職にとどまりうることのできない犯罪であることを、被告人はあらためて認識した。
もとより、被告人としても外交問題、環境問題、福祉問題等の山積する課題に対し、国政に関与し紛骨砕心努力することにより、本件事件に対する反省を行おうと考えていた時期もあった。
しかしながら、前記国会議員の立場とその本件犯罪類型を考慮するとき、そのような方向は自家撞着であること明らかである。そこで、公的活動に一区切りをつけることが可能になったことから、平成七年九月一八日、衆議院議員を辞職することとし、同日、土井たか子衆議院議長に辞職願を提出し、同日には右辞職が衆議院において許可された。
被告人が議員の辞職を決意したのは、平成七年七月一五日である。おりから参議院議員選挙の最中であったが、六〇歳の誕生日を迎え、前記事情により決意を固めた。しかしながら、後援会の理解、議員としての継続中の案件、雇用している秘書の就職先、家族への配慮等から準備をすすめ、平成七年七月二二日豊橋市において記者会見を行い、辞意を表明し、その後残務整理を行い辞職に至ったものである。
二、政治資金規正法等の立方趣旨の認識と反省の深化
被告人は、本件発覚後、自らの違法行為を認識し、反省していたものであるが、その一面で、その認識が不十分であったことは事実である。
しかしながら、被告人は現在では、自らに下された第一審判決を厳粛に受けとめ、自らの犯罪行為が国家の徴税権を侵害し、国家・共同社会の存立を脅かす行為であったこと、また、政治資金の収支の明確化、政治資金の透明化によって政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的とした政治資金規正法の立方趣旨をないがしろにする行為であったことを強く認識している。被告人はもとより「政治には金がかかる」という前提自体、是正しなければならないと認識して政治活動を行ってきたものであり、そのことは平成五年総選挙でのボランティア選挙の実践においても明らかであるが、さらに政治資金規正法の立方趣旨を深く理解し、「政治家なら誰でもやっている(だから仕方がない)」という政治家に蔓延している認識自体が決定的に間違いであることを自覚した。
被告人は、政治資金規正法の趣旨を十分に理解してからは、それまでルーズな面も見られた政治資金と個人的な会計との区別を厳密に行うより会計処理を是正している。政治家の仕事は勤務時間の定めも休暇もなく、一日中、一年中が政治家としての仕事であってまさに全人格的な仕事である。したがって、公私の区別が出来にくい側面があることは確かである。しかしながら、私のためでなく国民のために奉仕するという政治活動そのものの意味、そしてそれに用いられるべき政治資金の持つ意味から、私金と政治資金との区別の要請が極めて高いのであり、被告人も現在ではこの趣旨をよく理解して、政治資金とは近藤豊個人への金ではなく近藤豊の政治活動への金であるとの認識の下、収支を明確にして政治団体の運営の改善を図っている。
三、辞職の経緯
被告人は、昭和五四年に衆議院議員選挙に立候補し、初当選を果して以来、通算で四期、約九年にわたり衆議院議員として、国民のためにその職務に精励し、主に外交、福祉、文化、環境政策の実現に努力、実績を上げてきたものである。
被告人は外交官としてのキャリア、及びそれによって培った国際感覚を活かして、国会では安全保障委員会委員長を努め、PKO調査団団長として欧米するなどして活躍した。また、後述のとおり、「愛知太陽の家」の設立に尽力し、身体障害者が生産活動に携わることにより、健常者とともに社会参加する道を切り開くことに貢献した。さらに、中曾根首相(当時)の人種差別発言に端を発した日米摩擦問題の緩和と三河地区での文化興隆を企図して、世界から一流のミュージシャンを集めて「ブラック・ヘリテージ・フェスティバル」を二度にわたり開催したが、米国に対する関係でも所期の効果を上げるとともに意義ある文化的イベントとしても高い評価を得た。加うるに、故郷の三河湾が汚染された現状に心を痛め、環境問題にも積極的に取り組み、グリーン・アンド・クリーン・アース財団設立のために心血を注いでいる。
被告人は、国会議員として右の他にも、旧国鉄の分割民営化問題、消費者保護のための割賦販売法改正等に多大な貢献をしている。
わが国の政治家の中には、従来から、利権と癒着して多額の政治資金集めに奔走する一方、いわばその見返りとして地元への利益還流に専心する者たちが多く身受けられることは、周知の事実である。これに対し、被告人の国会議員としての活動は、そのような旧態依然たる利益還流型とはおよそ縁遠いものであり、社会福祉、文化、環境問題といった地道なテーマにつき使命感を持って邁進してきたのであった。これらの活動ぶりや前述した平成五年総選挙における選挙活動などから、被告人は選挙民からクリーンな政治家として評価を得ていたのであった。
本件は、そのような信頼と評価を得ていた被告人が政治家として返り咲くための準備期間中に犯したものであり、それはたんに違法な行為をしたいとうだけにとどまらず、国民から政治家としての被告人に対し寄せられていた厚い信頼を裏切るものであったことは否定できない。そして、このように国民の信頼を裏切った国会議員にとって、議員を辞職することが反省の意を示し、国民に対し責任をとる道の一つであることは確かである。
この点において、被告人は、本件発覚後もこれまで衆議院議員の職にあったが、しかし、このことだけから被告人に反省がなかったと断ずるのはあまりに早計である。被告人は漫然とその職に居座っていたわけでもなく、また議員の地位に恋恋としてしがみついていたわけでもない。被告人は、自己の犯罪について認識した後は、本件に対する反省に基づいて、議員を辞職することも政治家としてとるべき道の一つであることを理解したうえで、いかに罪を償うべきかを真摯に悩み続けていたのである。被告人にとっては、本件犯罪行為の後に行われた平成五年総選挙において、自己の理想とする選挙活動を実現し、国家的な課題とも言える政治改革を公的に選挙民の信任を得て、再び政治家して活動を始めたばかりであった。自らの過ちに対する深い反省の下に、政治改革、福祉政策の実現等に向けて、これまで以上に精力的に活動し、国民のために尽くすことによって過去の罪を償う道も、政治家である被告人には考え得る選択肢の一つであった。被告人は二つの道の間で悩みながらも、直近の選挙の結果として自らに課せられた使命をまず果たそうとして政治活動を継続してきたものである。
しかしながら、被告人は、その間も前述のとおり反省をより深めてゆき、自らが犯した罪の重大性をいっそう強く認識した結果、衆議院議員の職を辞することによって国民に対し謝罪するとともに、自らの反省の意を示すことが最良の道であると判断するとにいたり、その決意を固めた。前述のとおり、それは六〇歳の誕生日を契機としてであり、対外的な辞意の表明は七月二二日であった。被告人にとって、政治改革、福祉政策等これから実現しなければならない課題が山積する中、志半ばにしてその職を辞することはまさに断腸の思いではあったが、その辞意表明に沿い、懸案であった財団設立の準備が整ったことを機に、衆議院議員の職を辞することにしたのである。
そして、被告人は、前述のとおり平成七年九月一八日、土井たか子衆議院議長に辞職願を提出し、同日には、衆議院において辞職が許可されたものである。
これにより被告人は国会議員という身分を失ったが、これまで抱いてきた理念まで失ったわけではない。今後とも、一市民として福祉活動、環境問題等へ積極的に取り組み、広く社会全体・国民に奉仕することにより、自らの罪を償う覚悟である。
四、財団設立準備の活動と退職金の寄付
被告人は外交官としての経歴、及び国会議員としても外交問題に関与したことから、国際交流の中で大きな功績を残してきたが、最近の関心事は地球の環境問題であった。地球の環境を守り、公害の進行堆積を停め、そこから浄化に転じさせることは、二〇年、三〇年を単位として今後検討されるべき事項である。
被告人はそのため、公害防止技術、汚染除去浄化技術を研究開発し、実用化して普及することを目的とする財団の設立を準備していた。グリーン・アンド・クリーン・アース財団の骨格は定まったばかりであるが、平成七年九月には財団認可申請を行えるところまではこぎつけつつある。財団役員候補も財界人をはじめ、環境問題研究家などの有職者の賛同の取り付けを行っている。
被告人は、国会議員を辞したものの、その活動については継続して助力を惜しむものではなく、今般の議員の退職金も全額その公益的活動を行う財団の準備のために寄付することとしたものである。
第三 被告人の活動実績
一、ハーグ事件
1.被告人は、昭和三二年東京外語大スペイン語科在学中に外交官試験に合格し、昭和三三年四月外務省に入省した。以後、昭和五三年八月、四三歳で退官するまで、在アルゼンチン大使館、在オランダ大使館の勤務等一〇年間外交官として日本の国際社会への貢献に尽力した。
2.右外交官時代の特筆すべき事実は、昭和四七年から昭和五一年まで在オランダ日本大使館一等書記官として勤務していたときに発生したいわゆる「ハーグ事件」における人質救出の献身的活動である。
当時は、「世界革命」と叫ぶ日本赤軍が、パレスチナゲリラの一部と結び世界各地でテロ行為を引き起こし、国際世論の中で反日感情が高まっていた。昭和四七年五月のテルアビブ空港乱射事件、日航ハイジャック爆破事件、シンガポール石油基地襲撃事件と続き、シンガポール事件の主犯、日本赤軍を名乗る「スズキ」(犯人らは「フルヤ」と呼称。のちに本名「山田義昭」と判明。)がパリでオルリ空港で逮捕され、フランス当局に身柄を拘束されていた。過激なテロ行為によりパレスチナ解放戦線等からも孤立を深めつつあった日本赤軍は、欧州での蜂起を叫んでおり、いつ新たなテロ行為を発生するか、フランスをはじめ各国が警戒を強化し、日本の公安当局も旅券のチェック等対策を強化していた。そのような中で、昭和四九年九月一三日、日本赤軍を名乗る三名のテロリスト(のちに和光晴生、奥平純三ほか一名と判明)が、フランス当局に身柄を拘束されていた「フルヤ」の釈放と一〇〇万ドル、及び逃亡用のボーイング七〇七の提供を要求して、ハーグのフランス大使館を武装襲撃し、セナール大使以下一一名が人質となる事件が発生したのである。
3.被告人は当時三九歳、気鋭の外交官であり、妻と三名の子と共にハーグに赴任していた。九月一三日午後五時頃、帰宅直後に大使館からの電話で事件の発生を知った被告人は、ただちにオランダ警察の臨時対策本部に駆け付けた。他に横関書記官、菊島職員も現地に到着した。そして、同日五時半ころ初めて被告人が、直接「コンドー」であることを名乗って犯人側と日本語での交信を開始した。犯人達は、前記要求のほか翌午前三時を期限とし、その期限が守られない場合はフランス大使以下の人質の生命を保証しないと通告してきた。しかし、対策本部の対応は調整に手間取った。いらだつ犯人側は威嚇のためか、大使館内で銃弾を発射した。
その間、オランダの警備局長、フランス公使の立会のもと、被告人は一五分毎に犯人たちとの電話による対話を繰り返し、その中で単に犯人たちの要求に対してその可否を伝達するだけでなく、交渉を継続する最低限の信頼関係を生み出すことに成功した。
この信頼関係が最終的に、広い空港の建物から五〇〇メートル離れた場所で人質の交換の指揮をとるというハーグ事件の解決の第一の功労者となるきっかけとなったのである。
もちろん、信頼関係と言ってもそれは極度の緊張関係の中にあるものである。オランダ・フランスの事件に対する対応の相違と犯人の要求の間にあって、それは単に優秀な外交官というだけでは努まる役割ではない。被告人が並大抵ではない胆力・気力を有し、人質救出への情熱に燃え、対外的な日本の信用を維持しなければならないという使命感に燃えていたからこそ為し得たことがらである。それらの事実は、以後の事件の経緯の中での報道等からも明らかである。
4.被告人は、事件発生後ただちに本部にかけつけてから翌朝五時頃まで、前記犯人たちとの電話での交渉を担当したが、それは緊急事態の発生に際し言語上の障害を超えるための事実上のことであった。しかるに、他の者に任せて約二時間半の仮眠後、直ちにオランダ・フランス合同対策本部から被告人に出頭要請があり、オランダのデン・アイル首相、ファン・アフト法相、フランスのヴェルジュール警視総監らの対策協議の場に呼び出され、事件解決のための参加協力を正式に要請された。
被告人が電話交渉の場を離れた二時間半くらいの間、交渉がスムースに進行しなかったこと(もちろんフランスの強硬方針が背景にあったが)、当初からの交渉の経緯を良く知り、犯人側の精神状況を良く知っているドクター・コンドーに任すのがベストであるというのがその理由であった。
被告人は、外交官として、日本政府代表として対策本部に参加するのであれば、日本政府の指示が必要であると判断した。しかしながら、本国からの指示はおそらく早急には出ないことが予想されたため、被告人はその緊急事態に際し、個人の資格での参加を申し出、オランダ政府の事件解決に協力することとした。デン・アイル首相は、被告人に対し、直接解決がうまくいかなくともドクター・コンドーの責任ではないこと、万が一のときの家族の安全や保障につき、オランダ政府として万全を期するとの申し出をしてくれた。被告人は、そのとき国際社会を敵に回し、同じ日本人が引き起こしたテロ事件の解決のために、文字通り生命を賭して努力すべき重い責務を感じたのである。それは、被告人の外交官時代を通して、最も強烈で最も重い記憶であり経験である。
5.本部に参加した被告人は、デン・アイル首相やファンアフト法相の指揮のもと精力的に活動を開始した。九月一四日、対策本部の方針により、デン・アイル首相が直接犯人側に電話でドクター・コンドーが交渉の窓口となることを伝え、犯人側もそれを了承した。
被告人は、オランダ・フランスの対策本部の協議の結果を踏まえながら、犯人側の要求する飛行機の機種の問題、要求された一〇〇万ドルをいくらにするかの問題、女性等一部人質の先行解放の要求、食糧の問題など、三〇分毎に犯人側と電話のやりとりを行い、対策本部の協議を先行された。
しかしながら、一四日午後七時頃、いったん休息をとった間にフランス大統領がオランダ首相にボーイング七〇七機を提供すると回答した前言があるにもかかわらず、シラク首相がそんな事実はないと通告してきた。その事実は、すでに犯人たちに伝えたあとであったので、犯人側との交渉は危機的な状況に立たされた。危機的な状況の下で、何ら進展のないまま丸一日経過し、人質救出難航とのマスコミ報道の中で双方に焦燥感が拡大していった。この間、被告人は犯人側の爆発を避けるため必至の言い訳を含め、信頼をつなぐための交渉の努力を行った。デン・アイル首相は、フランスと必死の交渉を行い、ようやくフランスにボーイング七〇七機の提供を行うことを認めさせた。
同首相は、直ちにパイロットをはじめクルーはオランダが出すこと、五〇万ドルまではオランダ政府が出すことを決断した上、その範囲での交渉権限をすべてドクター・コンドーに与えるので努力してほしい旨を伝えて来た。
被告人は、犯人との交渉で、オランダ政府のフランスに対する粘り強い交渉の成果とオランダ政府の配慮を認めさせ、「フルヤ」がフランスの飛行機で到着点検後に女性二名の人質の解放を認めさせることに成功した。
一六日午前四時三〇分、女性二人が解放された。
6.その後の交渉も、被告人が窓口となって継続した。焦点は、武器の放棄、一〇〇万ドルの要求に対する回答金額、安全離陸の保障に移行した。被告人は、交渉の経過から、ピストルの携行だけは絶対に犯人たちは譲歩しないとの見通しをデン・アイル首相に伝えた。首相は、武器の完全放棄がなければフランス・オランダ両国から身代わり人質なしにクルーだけを飛ばすわけにはいかないこと、身代わり人質が同行する場合は、言葉の障害を解決するため暗に被告人に同行してほしい旨を要請した。被告人はこのとき、最悪の場合は日本人として身代わり人質として同行する決意を固め、デン・アイル首相に伝えた。被告人は、首相が涙を流して「ダンク・ダンク・ダンク」と感謝の言葉を発したのを今でもはっきり覚えている。
7.九月一六日夜、シラク首相とデン・アイル首相の間で激しいやりとりが行われた。フランスはあくまで射殺を要求した。テロの再発を防ぐには射殺以外にはなく、これは戦争状態であるから、犠牲もやむを得ないとの強硬論である。オランダも譲らず、結局、フランスはオランダの人質救出優先という方針を覆すことはできなかった。
翌九月一七日午前八時、被告人はピストル二丁の携行、人質全員のスキポール空港での解放、クルー三名の乗り込み、三〇万ドルのキャッシュの交付、ボーイング七〇七機での国外脱出との条件で犯人側との交渉を成立させた。
幸い、身代わり人質の要求はなかった。提供されたバスに、犯人達は手りゅう弾をかざしながら人質とともに乗り込んだ。被告人は、その前を走る車に乗り込み、走行中の通話も可能な状態で、フランス大使館から空港に向かった。途中の警備は、ものものしいものであった。交換の場所に立ち会ったのは、被告人のほかは中立国としてエジプトの大使ともう一名であった。ボーイングとバスの間を、取り決め通りに犯人と人質とクルーが往復しながら交換がすすめられ、三〇万ドルを渡し、犯人らがピストル以外の武器を放棄したことが確認された。最後に、フルヤとセナール大使が交換され、人質救出は終了した。
8.以上が、被告人が人質救出のための努力したハーグ事件の概要である。被告人をはじめ、機長、エジプト大使、首相以下四閣僚らは、九月二〇日、オランダユリアナ女王のガーデンパーティーに招待された。被告人らに勲章の授与の御沙汰があり、現に最後の人質交換に中立国として立ち会ったエジプト大使らは叙勲を受けた。しかしながら、被告人をはじめ日本大使館関係者は、全員勲章を辞退した。しかし、その席で女王陛下は被告人に対し、「一番先に勲章を差し上げたかったのはあなただったのです。いつか、お断りになれないような折に必ず受け取っていただきますよ。」と直接お声をかけられる栄誉を浴したのである。そして、翌年被告人は、韓国へ転勤することになり、妻と共に異例の宮中にお召しを受け、オランダ・ナッソー勲章を授与されたのである。
そしてその二日後、フランスのセナール大使より、レジオン・ド・ヌール勲章を授与された。
9.ハーグ事件は、当時日本のマスコミはもちろんヨーロッパでも「カミカゼ」と形容されて大きく報道され、オランダでも戦前の反日感情と相まって、日本の国際的評価を著しく損ねた事件である。
被告人は、外交官として当然の責務の範囲を超えて、日本の対外的信用を維持し、実際に献身的努力により人質の解放を成功された第一の功労者である。その素顔はオランダ雑誌等でも詳しく紹介され、日本の当時の新聞にも、努力した大使館員、近藤豊一等書記官の実名入りで報道されている。
10.しかしながら、以上の実績はすでに二〇年も前の過去の実績、栄誉に過ぎないこと、本件所得税法違反、政治資金規正法違反の事実と何ら関係がないと言えば言えないことは事実であろう。
しかしながら、ひとしく同一の罪を犯した場合に、過去に善行があった場合となかった場合が、情状において同一ということはあり得ない。特に本件のような人命救出という緊急事態の中で、身を賭して努力したことは、十分被告人に有利な情状に値すると考えるものである。
11.更に被告人は、本件一審判決後、自らの経歴を詳しく弁護団に報告するに際し、ハーグ事件における当時の救出された人質や、ともに救出にあたったオランダの関係者から得た信頼と栄誉に比べることにより、今回犯した罪の重大さについて、より一層深刻な反省の機会を得ることができた。
オランダ、フランス両国政府から得た栄誉は、単に外交官として赴任していたというにとどまらないものである。これらの栄誉に対し、今回の犯情は、単に自らを裏切るだけでなく、その栄誉を与え、将来にわたってその栄誉にふさわしい活動を期待したオランダ国民、及びフランス国民をもまた裏切るものである。
被告人が、ハーグ事件を通して知り合ったオランダ高官に対し、今回の本件事件を伝えることは恥辱的ともいうべき行為であろう。
しかるに、被告人は、オランダ国民から与えられた栄誉を恥辱したお詫びの意味を込めて、ハーグ事件当時のファン・アフト法相(のち首相、のち駐日EC大使)が本年九月、立命館大学に講義のため来日したのを機にその事実を伝えたところ、ナイメーヘン大学の刑法・刑事訴訟法の教授の経歴もある同氏は、被告人のためならば嘆願書の提出も情状証人としても出頭も快諾されたものである。ファン・アフト氏は、デン・アイル首相も生存していれば同様の申し出をして下さるに違いないとも証言されている。
二、身障者社会福祉と愛知太陽の家
1.被告人は元外交官であり、活動実績も国際的であるが、被告人が退官し政治家となってから一貫して推進してきた政策に、身障者政策がある。
被告人のその政策意思に大きな影響を与えたのは、故中村裕医学博士・「太陽の家」の創始者・前理事長である。
被告人は、同博士の別府「太陽の家」を数度にわたって視察し、かつ同博士に同行して香港でのフェスピックに参加し、あるいはパプアニューギニアで開催されたりリハビリテーションインターナショナル(R.I)の世界会議に参加するうち、同博士の思想に共鳴し、その実現のために政治家としての活動を開始した。その思想は、一言でいうと、福祉とは「税金で身障者の面倒を見る」のではなく「身障者もその能力に合わせて働ける社会を作る」ことである。博士は、昭和三〇年代からそのような運動を開始しており、別府に「社会福祉法人太陽の家」を設立していた。
2.被告人は、昭和五五年衆議院再選後、昭和五七年障害者が働く施設「太陽の家」を、愛知県蒲郡市に誘置すべく「太陽の家」蒲郡市に誘致委員会を結成し、会長として精力的に動き回った。身障者施設については、未だ偏見あるなか、関係各方面を説得し、市や県の賛同を取り付け、日本電装株式会社の協力も取り付けることができた。
この資金手当については、募金委員会を設立して奔走するとともに、昭和五八年「社会福祉法人太陽の家」が、社会福祉事業振控興会二億円の融資を受けることが可能となった。故中村医博死亡後は、愛知事業本部の事業遂行のために、水藤勇氏とともに右二億円の連帯保証人を引き受けた。
昭和五九年、日本電装株式会社と「社会福祉法人太陽の家」共同出資で、デンソー太陽株式会社が設立され、愛知県蒲郡市形原町に授産場と福祉工場が開設され、昭和六三年増改築されて今日に至っている。
現在、同施設では、自動車部品の製作を中心に生産活動が行われている。コンベアの流れ作業の工程のひとつひとつが、それを担当する障害者の作業が可能なように工夫されており、それぞれの能力に応じての役割が与えられて生産活動が行われている。平成七年六月一日現在では、一九八名の障害者と四三名の健常者が在籍している。
3.被告人がこの活動に参加する中で、昭和五八年には蒲郡市が社会福祉郡市宣言し、身障者のレジャー、レクリエーション、スポーツの大会である「第一回レスポ世界大会」が蒲郡市で開催された。これは、すでにスポーツによるリハビリとして定着しつつある身障者の活動を、更にレジャー活動やレクリエーション活動へとその社会参加を広げていこうというもであり、愛知県をはじめ地元の協力で大成功をおさめた。
4.被告人は、その後も「京都太陽の家」の設立に努力したオムロンの立石真一会長らと協力して、身障者福祉の政策が遅れている北京に「太陽の家」を設立する企画などに協力したが、中国政府の内部事情等から、実現せぬまま今日に至っている。
一般的に、このような政治家は極めて少なく、篤志家、ボランティア活動に支えられている中で、被告人の本件活動は見識のある活動であり、必要な活動である。第一回レスポ世界大会にしても、開会式には多くの議員が列席したが、国会議員で当初から尽力したのは、被告人だけであったことはまぎれもない事実である。
5.被告人は今般、政治家として環境問題、福祉問題、外交問題、国際次元で日本を見た場合の三河開発問題等山積する課題を感じながら議員を辞職したが、その決意にあたっては、「愛知太陽の家」に在籍して働く障害者の言がひとつのきっかけになっている。
被告人は、かつて太陽の家が設立され軌道に乗った後、その施設を訪問したことがあった。そのとき、その障害者は被告人に対し、給与の明細表を取り出し、「先生ありがとうございます。私も初めて所得税を払いました。」と言って百数十円の源泉所得税の欄を指し示したことがあったのである。
今般、所得税法違反、政治資金規正法違反の罪で有罪判決を受けたが、その障害者が本件一審判決を含む事件報道をどのように聞いているかを考えたときは、本当に合わす顔がない、恥ずかしい思いでいっぱいだ、というのが被告人の揺れ動く心情の素直な一端である。
三、国際文化活動
1.被告人は、外交官としての経験から、議員となってからも外交関係の実績も多い。議員外交としては、日韓議連副幹事長、日本イスラエル親善協会事務局長、日本ネパール議員連盟、及び日本ヨルダン議員連盟幹事長等を勤めて来た。
2.被告人は、昭和六〇年には、日韓文化交流基金の設立に尽力し、日本側協会の理事長に須之部元駐韓大使を迎えた。日韓の過去の関係に照らし、文化交流を推進する立場から親交のあるKBS(韓国放送)李元洪社長と協力し、日本の唄を韓国で日韓双方の少年少女の混成で歌い、韓国のテレビとラジオで全国放送を行うという初めてのイベントを実現した。日韓関係を好転させるためには、文化交流が必要であるとの被告人の信念にもとづくものであり、この合同公演はソウル、釜山、日本では東京、福岡、大阪、名古屋、蒲郡等で行った。子供達の滞在中は、ホームステイでの親善の実をあげることにも努力した。
3.被告人は、昭和六一年七月、豊岡市で開催された「ブラック・ヘリテージ・フェスティバル」の企画実行に尽力した。これは、黒人に対する侮蔑発言で対米摩擦のある中、レイ・チャールズ、ビビー・キングら一〇〇人余の黒人有名アーチストに加え、ヴァージニア州黒人副知事らを招待した画期的なイベントであり、全国から二万人余の聴衆が参加した。後日、安全保障問題で訪米したとき、ワインバーガー元国防長官からも評価をいただいたものである。
第四 一審判決前の情状
一、平成五年総選挙における選挙活動
被告人は、外務省を退職し、政治活動を開始した時点から、それまでの利益還流構造の中にあったわが国の政治を改革する理念を有し、政治改革を強く主張してきた。すなわち、「政治には金がかかる」と言われている現状を改善し、金のかからない政治を実現することを常に目標としていたものである。
本件は、落選中の被告人が現実に「政治には金がかかる」状況の中で、政治資金に窮し、結果的に、金のかかる現状を認めるかのように違法な行為に携わったものであり、自己の理念や政治資金規制法の趣旨を見失っていたことは否定できない。
しかしながら、被告人は、本件が発覚する以前に、すでに自らの理念を取り戻し、金のかからない政治を実現するために、まず金のかからない選挙を実践するに至っていたことを見逃してはならない。
平成五年七月の総選挙は、政界再編の嵐の中、全国の空前の激戦となったが、被告人の立候補した愛知五区もまた有力候補がしのぎを削る激戦となった。被告人は無所属で立候補したために選挙戦が激しくなることは必至であったが、この厳しい選挙戦においてあえて自己の理念を実現するために、金のかからない選挙活動を展開したのである。従前の選挙活動の形態であれば、ポスター貼り、遊説など各種の対外活動や選挙事務所の運営など様々な活動について莫大な金がかかるのが当然のように思われていたが、被告人の選挙活動においては、そのほとんどを無報酬のボランティアが運動員となって行ったほか、選挙事務所での食事も出さず、運動資金の多くをカンパによって賄い、およそそれまでとは異なる「金のかからない選挙運動」となったものであって、かかる活動形態は「ボランティア選挙」として注目を浴びた。
この結果、被告人の政治主張及び選挙活動が選挙民から評価され、六万九〇七〇標を集めて返り咲き当選を果たすところとなつたのである。
右のとおり、被告人は少なくとも本件犯行後においては、金のかかる現状の政治を否定し、自らの政治理念に基づいて金のかからない清廉な政治を実践していたものであり、政治資金に窮して違法行為に及んだ本件犯行当時とは全く異なる認識の下、状況を自らの強い理念で改善し、是正していたと言いうる。
なお、選挙後、右選挙運動の際に集まったカンパの残金を、北海道南西沖地震災害義援金として、日本赤十字社愛知県支部に寄付している。カンパという形で集めた浄財を意義のある使途に用いたものとして、これもまた被告人の政治活動の本質を示す好例であるが、この点も被告人にとって有利な情状として酌むべきである。
二、他の共犯者の配慮
原判決の認定するとおり、被告人その他関係者が、本件発覚後、打ち合わせをしたことは事実である。これは被告人が、執行猶予判決を受けていた上田みどりや、自己の支援者らをかばおうとする一心で行ったものであり、少なくとも動機において自己の保身のみを図ったものではなかった。また、それ以上に細部にわたる打ち合わせや工作をする意図はなく、現に全く行っていないのであって、容易に事実が露見する状況であった。そして、実際に事実は容易に露見したのであって、結果的にさしたる影響はあり得なかったものである。
要するに被告人において徹底的に搜査を妨害するまでの意図や行動はなかったのであり、上田及び支援者らをかばおうとする余り、後先のことを深く考えず簡単に露見してしまうような行動をとったに過ぎないのである。被告人も、これらの行為が軽率であったことを反省していることはいうまでもない。
右のとおり、被告人の行為は、自らの保身を図る意図に出たり、詳細な打ち合わせ・工作をして、意図的に搜査を根底から妨害するような事例と比べ、悪質とまでは言えず、本件行為の情状として重く酌むべきものではない。
また、被告人は、本件の搜査において、実際に寄付をした支援者や秘書らが取調べをうけるに至ったことを憂慮し、彼らが起訴されることのないよう心を痛めていたものであるが、最終的に本件で起訴されたのは被告人ひとりであった。これは、被告人が、秘書や支援者たちではなく自分こそが悪いことをしたと素直に認識し、自分がひとりで責任を負う覚悟を示していたからに他ならないのである。
第五、考慮すべき犯情
本件において、被告人及び弁護人は、所得税法違反及び政治資金規正法違反の犯罪の成否それ自体を争うものではない。しかしながら、被告人の行為を実質的に考察した場合、犯罪の成否に影響を与えるとまではいえないとしても、罪体そのものについて、その行為の違法性及び責任に少なからず影響を及ぼす事実が存在する。
本件における被告人の行為につき、罪体そのものについて考慮されるべき情状として、以下の点が指摘されなければならないと考える。
一 共謀共同正犯の共謀性とその態様
本件においては、被告人は多数の者と共謀し、多額の税額の支払いを免れたとされ、その共謀の中心人物とされている。
しかしながら、本件では、被告人は共謀の中心人物ではあるものの、自らの税額の支払いを免れようとしたものではないし、自らの税額を免れるために他人を使用しようとしたものではない。政治資金規正法第三二条の二においては、個人が政治活動に関する寄附をした場合、当該寄附につき同法または公職選挙法の規定による報告がなされたときは租税特別措置法の定めるところにより、当該個人に対する所得税の課税につき特別の措置を講ずるものとされ、これを受けて平成五年法律第五八号(改正前租税特別措置法)第四一条の一六では、政治資金規正法第三条第一項第二号に掲げる団体のうち、衆議院議員等の特定の公職の候補者または当該公職の候補者となろうとする者を推薦し、又は支持することを本来の目的とする政治団体に寄附をした場合、政治資金規正法第一二条の規定による収支報告書で報告されたものは、所得税法第七八条第二項に規定する特定寄附金と見做して所得控除の対象とする旨規定していた。この場合、寄附金控除の対象となるのは、当該支出した寄附金額と支出者の年間総所得の一〇〇分の二五の金額のうちの少ない方の金額から一万円の控除した額である(所得税法第七八条第一項)。
したがって、被告人の行為によって得られる結果は、被告人の税額の軽減等ではなく、寄附に応じた支出者についての所得税額に対する軽減等である。本件では、被告人は他の支出者らと共謀関係があったとはいうものの、それは被告人自身が自らの税金を免れようとしての共謀ではなく、共謀の相手方を支配したり、相手を自己の税額軽減のため利用しようとしたというものではない。政治資金としての寄付を募る際、寄付に応ずる者への動機付けないしはその誘引として行われたものであり、その態様は、ただ単に、相手方と意を通じたというだけのものに過ぎない。
二 所得税法違反の共同正犯としての利得の不存在
先にも述べたとおり、被告人の本件行為により寄附金控除の対象となるのは、当該支出した寄附金額と支出者の年間総所得の一〇〇分の二五の金額のうちの少ない方の金額から一万円を控除した額であり、課税上の優遇措置を受けられるのは被告人ではなく当該寄附をした個人のみである。
したがって、本件においては、所得税の支払いを免れたことにより利得を得たのは被告人ではない。還付を受けたのも被告人ではない。被告人の直接的な目的は、ただひたすら政治資金の寄付を受けたいということにあったものである。被告人は自らが脱税したり、またその目的で他人にその手伝いをさせたものでもない。寄付を得るには、支持者がこれに応じてくれることが必要であるが、支持者がこうした寄付に応じてくれるための動機付けないしは契機とすることが目的であった。
もとより、その目的がいずれにあるにせよ、その動機付けに用いた手段が犯罪を構成することに変わりはない。しかしながら、被告人の目的そのものは所得税法違反により軽減された税額から利得を得ようとしたものではない。そもそも、被告人には利得が存在しない。被告人の行為は所得税法違反や政治資金規正法違反を冒し、国への税収の減少を目的としているのではない。所得税法違反は事実であるが、ただ政治資金としての寄付を得て政治活動を行いたいと考え、その動機付けということで行ったものであって、所得税法を守ろうとする利益の侵害を直接目的として行動したものでないことは理解を頂きたいと考える。
三 ほ脱税額と実際の寄付額
本件では、寄附は全く架空のものとされ、水増しというよりも一切架空のものとしてほ脱税額が把握されている。確かに、原判決が指摘するとおり、寄附とは厳格に言えば、寄附をする者の自発的意思に基づくものであり、本件のように課税上の優遇措置による見返りがあることを予定して金員を支出することは、もはや寄附とはいえないから所得税の架空の対象となり得ないとする見解もあり得ないではないかもしれない。寄附という概念を法的に厳格に解するならば、あるいは原判決の指摘のとおり寄付行為はなかったものとして評価することも認められるところであるかもしれない。
しかし、本件において、それでは金銭は全く出捐されておらず、全く金銭の移動がないのに領収証を発行して課税を免れたかといえば、そうではない。実際には、起訴にかかる領収書記載の名目寄附金額は、被告人の支持者らにより現実に被告人に交付された金額の二~三倍に水増ししたものである。逆に言えば、領収書記載の名目寄附金額の二分の一ないし三分の一は実際に支持者らが被告人に寄附金の名目をもって交付しているのである。
そして、実質的に事を見れば、支持者らにおいては、被告人に寄付金名下に交付した金銭が、寄附金として被告人の政治活動に使用されることはこれを承知し、容認していたものである。すなわち、それら金銭が名実ともに被告人に対する寄付金として使用されることは承知でこうした金銭の交付が現実になされている。領収証の金額が寄付金と同額であれば、これらは正に寄付金として処理されるものである。現実にも、支持者らにおいて被告人に交付した金銭は被告人の政治活動に使用されることは当然の前提としていたものであり、また、それら資金はその殆どが実際に被告人の政治活動に使用されていると言ってよい。
本件においては、各支持者らが出捐した金銭の性格が、法的に「寄附」に該当するか否かの議論はひとまずおくとしても、実質的には寄附金としての性格の資金が交付されていること自体は否定し難いものといえよう。
したがって、本件では、法的に厳格に寄附金の概念を解するときは、ほ脱税額の把握が名目寄附金額全額についてのものとすることは認められるにしても、国家財政の蚕食という実質から見たとき、実質的なほ脱税額は名目寄附金額から実際に被告人に交付されている二分の二ないしは三分の一を差し引いた額に止まっていると見られることは情状として十分に斟酌されるべきであると考える。
四 政治資金規制法の趣旨と本件態様
政治資金規制法は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性に鑑み、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の収支の公開及び授受の規制その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的として制定されたものである(政治資金規正法第一条)。
いうまでもなく同法は、政治団体や公職の候補者等において、多額の政治資金を湯水の如く使用しながら、その使用を秘匿し、不明朗な資金をもって政治活動を行う例が少なくないことから、それを契機に、これを政治活動の面からではなく政治資金に対する制約を通して規制しようとしたものである。
もとより被告人の本件所為が政治資金規正法違反に該当することは明らかではあるが、被告人の場合は、多額の政治資金を隠匿したのではなく、むしろ政治資金として実際に寄附を受けた額を過大に申告し、実際には使用していない金銭をも使用したかのように申告しているものである。
被告人の所為は、政治資金規正法が本来制定された契機である、多額の政治資金の使用を隠し、不明朗な資金による活動を隠蔽しようとしたというものではないという意味において、同じく政治資金規正法違反の事案としてもその違法性及び責任の程度には自ずと軽重があると考える次第である。
第六 結語
以上述べたとおり、被告人は、自己の行為への反省を深化させ、自らに下された第一審判決を厳粛に受けとめ衆議院議員を辞職したものであり、これに伴う退職金を公益の財団に寄付する等、第一審判決言渡後にも重大な変化がある。また外務省オランダ大使館勤務時代における、いわゆるハーグ事件での国際社会への貢献や、国際文化交流その他の面での幾多の功績が見られるのであり、被告人自らが、それらの過去の実績に照らし、自己の行為を深く反省しているものである。
裁判所におかれては、これら被告人の現在の状況をご理解の上、原判決を破棄し、執行猶予の判決をされたく控訴の趣意を述べる次第である。
以上